由緒

当社は、近衛天皇久安元年(1145)創建と伝えられている。

ご祭神は、彦火火出見命、須佐之男命、木花開耶姫命の三柱。

以前は、村の北東隅に鎮座する『上の宮』に彦火火出見命、須佐之男命が祀られ、

現在のお宮から東へ600M程にある「姥ケ池」に鎮座する『下の宮』に、木花開耶姫命が祀られており、両社とも村の鎮守として崇敬を集めた。

中世には、祖母井氏により尊崇を受け、歴代城主により社殿の修復や再建がなされた。

また、享保年間(1716~1736)には、朝廷より御神号「正一位星宮三社大明神」を賜る。

桃園天皇宝暦10年(1760)、『上の宮』が火災により焼失。

後桜町天皇明和2年(1765)、『上の宮』と『下の宮』を、現在の社地に遷移・合祀して『星宮三社』と称した。

後桃園天皇明和7年(1770)、当地の豪農・横堀仙右衛門により、ご本殿が寄進される。

明治6年(1873)、祖母井(うばがい)神社と改称し、旧祖母井村の鎮守・村社に列せられた。

江戸中期の優れた匠の技術を見ることが出来る極彩色豊かなご本殿は、芳賀町の社寺建築の中で唯一、栃木県の文化財の指定を受けている。

芳賀町田野辺村(現市貝町)の宮大工・永野仙右衛門により建造され、彩色は水府礒浜(現茨城県大洗町)の人見岑春(じんしゅん)によるものである。

ご祭神と神使・飛竜

彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
  諸産業発展・五穀豊穣・縁結びの神さま。

  別名・山幸彦。
 天孫(てんそん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)と
 木花開耶姫命の末子の神さま。

 兄神さまである火照命(海幸彦)との神話「海幸、山幸」で知られる。

 初代神武天皇の祖父神。


須佐之男命 (すさのおのみこと)
  厄除災難除け・学問・夫婦和合の神さま。

  天照大御神・月読命とともに三貴子と呼ばれ
  る。


木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

  安産・子授け・女性守護の神さま。

  見目麗しい女神さまであり、

  彦火火出見命の母神さまである。

神使・飛竜
 本殿左右の妻飾りには、翼を持つ竜・飛竜が阿・吽の一対配されており、神さまのお使いとして、あらゆる厄難・災難・方難を排し、幸運へと導いてくれる。


祖母井神社 本殿